ああああああ

 実験がだるい。逃げ出したくなった。僕は不器用なのでああいった手動で操作する機械系実験ができるはずがないのに、あの教授はきっと分かっていてわざと僕にばかりやらせているのだ、そうに決まっている。他の人たちには優しく操作を教えているくせに僕を相手にするときだけ口調が投げやりになっているのが何よりに証拠だ。きっと教授の脳内では僕は逆に笑ってしまうくらいに惨たらしく笑われ嘲られ蔑まされているに違いないのだ。そうにきまっている。そうでなければ心に直接さびた釘を打ちつけぐりぐりとねじ込んでいるような深く放って置けば化膿して腐り落ちていしまいそうな痛みを感じるわけがない。そう考えれば教授が僕を嫌っている以上この辛く苦しいなどと軽い言葉では片付けられないような魂の慟哭も納得がいく。なるほど確かに、これで周りの人が僕に声をかけてこない理由が明らかになった。詰まる所教授のご機嫌を損ない単位を落としてしまうことを怖れているのだ。もともと関わりのない僕一人無視することぐらい何の悔恨もなくやってのける事ぐらい訳がない。本当に僕が嫌われているわけではないんだと分かれば何の問題もないんだ。それもそうだ、よくよく考えてみれば、僕のこれまでの人生を生き方を僕という人となりをどれをとっても僕がそんな惨めな『いじめ』などにあう理由は何一つないわけで。むしろこんなにも僕が素晴らしく他人よりも優れた存在であるが故に尊敬と畏怖を与えてしまっているのだ。教授は自分より格上の僕を認めたくないだけだろう。そう断じて僕が『いじめ』られているのではない。彼の酷く矮小なポケットに溜まっていたくずゴミのような自尊心が僕への敵対を示しているだけの話でしかない。くどい様だが僕は悪くない。悪くない人間が『いじめ』にあう道理はないのだから、やっぱり僕はいじめられてなどいないのだ。僕はこの寛大な心で彼らを許すとしよう。後は彼らが誤ってくるのを待つだけだ。自らの過ち弱い部分を認められなければ先に進むことなどできはしない。だから僕は待つのだ。彼らのほうから動くのを。僕は悪いところがないのだから動く必要性は全くないのだから、彼らから誤るのはしどく自然なことなのである。それでももし彼らが自分の非を認められないお馬鹿さんであるなら悲しいが僕は彼らに見切りをつけなければならなくなるだろう。僕は全然平気である。天才は孤独だとよく言うではないか、そもそも彼らとは死ぬ間際まで続く堅い信頼が生まれることもありえない。たいした関係もな


 なんてことをだらだらと書き綴ってしまったのは、実験の意図がなかなか理解できずに時間がかかってしまった自分にいらついていたからである。教授も僕一人のために遅くまで付き合ってくれた。言葉に仕切れないほど感謝している。だから上記のようなことを本気で考えているわけではない。安心してほしい。