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 今日は大宮に行く予定であった。家庭教師のバイトを首になってしまったので、とりあえず授業した分の給料だけでももらっておこうと考えていたのだ。ちなみに首を切られたのは僕が男だからだそうだ。だからといって、別に生徒である中学女子にセクハラをしたわけでも、無理に性的関係を迫ったわけでもない、名誉のため誤解しないで頂きたい。
 しかし、予定は取りやめて大宮には行かなかった。なぜなら寒かったからだ。他に理由が必要であろうか。僕は、寒いときは室内でストーブの前に丸まって、ここが私の死に場所だ。と主張するかのように眠り続けるのが正解だと思っている。それの何が悪い。
 世間一般では「夏より冬が好き。だって夏は暑いじゃん」という意見がまかり通っているようだが、僕に言わせれば「夏が好き。だって夏は暑いじゃん」である。暑いことの何が悪いというのか理解に苦しむ。体を解さずともすぐに運動できる状態に入れる夏は素晴らしいではないか。寒いと筋肉が緊張するわ、指先はかじかむはでろくなことは無いのだ。
 でもそんな寒さだからこそ、女性の厚着姿を観測できるのは嬉しいことである。夏場の露出の多い格好も良いが、僕はやはり肌が隠れているのも良いと思う。
 みなさんはご存知だろうか。ロングスカートによって育まれた愛の奇跡の話を。
 自殺を試みてビルの屋上から飛び降りようとした女性がいたが、その日は寒い日で彼女はロングスカートを穿いていた。死の世界へと飛び立ったその瞬間、偶然にも同様に自殺しようとビルに昇ってきた男性にスカートの裾を捕まえられ、女性は助かった。
 どうして、死なせてくれなかったのか、私には心配してくれるような友達も家族もいない。仕事もないし、生きていたって仕方が無いのだ、と主張し女性は泣きじゃくる。男性はまだスカートの裾を握り締めたままで、みんな仕方の無い人間さ。だがね、だからこそ性懲りも無く今を生きるのさ。自分の価値を求めてね。心配してくれる人がいないと言ったね。僕には、このスカートが風にたなびいたとき、真剣に君が心配で必死に手を伸ばしたんだよ。少なくとも僕は君がとても心配だ。と自分に言い聞かせるかのように語った。それでも死にたいのだと嗚咽を繰り返す女性に、男性は笑ってこう言った。ラッキーだったよ、君がこのミニスカート全盛時代に、こんなに長いスカートを穿いていたおかげで、僕の手が届いたんだから。僕が同じように、ここに死ににきたおかげで、僕は君を救えたんだ。誰の役にも立たないと思っていた僕が人の命を救えたんだ。こうは思わないか。すべては生きるための方向に進んでいたんだって。ここまできたら、もう男性も泣いていた。僕たちは生きるために、死ぬ場所で出会えたんだよ。
 その後二人はお互いを支えたり、支えられたりしながら人生を共に歩いていった。それからも苦しいことはあったけど、そこに転がっていた幸せに気づけたから、自分のことを想っている人がいるから、もう死のうだなんて考えなかった。
 という心暖まる話を。
 シックに身を固めた女性に関する奇跡を語りだしたらきりがないほどだ。
 みなさんも冬の街が起こす奇跡を見逃さないようにして欲しいと思う。