打ち勝つ

 なんと、なんとなななんと!ついに教習所にいきました。実に一ヶ月ぶりの登校でした。教室のみんなの反応が怖くて緊張したけれど、暖かい笑顔で迎えられ、ひと安心でした。
 そして、僕はやり遂げました。あの仇敵、効果測定に打ち勝ったのです。教官に機械的に「合格です」と言われた瞬間、我が耳を疑い、右の頬を殴りました。痛かったです。口の中を切ってしまうほど痛かったです。目の前でいきなり自傷行為に至り吐血した僕を見ても、教官は眉ひとつ動かしませんでした。
 さすがは天下のセイコーモーターです。
 これしきのことはマニュアルの範囲、と冷たい眼が言っているようでした。興奮の冷め遣らぬ僕は、教官に頼みました。
 左の頬も殴ってくれ。と、
 頷くこともせず教官は教棒で僕の頬を力一杯引っ叩いてくれました。すごい痛みでした。溜まらず口の中の血を吐き出すと、白いものが混じっていました。僕の奥歯でした。
 さすがは天下のセイコーモーターです。
 日々の鍛錬で鍛え上げた肉体ならば、これくらい当然。と微かに上がった口端が語っていました。
 かくして合格証明書を手に、帰路につきました。気分はアルプス山脈で山羊と遊ぶ少女のようでした。
 普段は人のいない公園に桜が満開で、人がわんさか押し寄せていました。どうやら僕の合格を祝して酒を交わしているようでした。気合の入った攻撃的なバイクに乗って暴走していたお兄さんがたも、僕の合格を祝ってパレードしてくれていたのでしょう。嬉しいことです。
 喜び満点で、夫の帰りを待つ新妻の気分で信号待ちをしていました。目の前のおっちゃんがタバコをふかしていました。僕はタバコが大嫌いです。でも今日は僕が効果測定に合格しためでたい日ですから、おっちゃんもついつい禁煙していたのを忘れて一服してしまったのでしょう。仕方の無い父さん。と、我慢しました。
 そのタバコを投げ捨てるまでは。
 足元に転がった吸殻。青に変わった信号。おっちゃんは意に介すことなく自転車を漕ぎ出しました。僕は吸殻を拾おうと自転車から降りようとしました。幸い、横断歩道の向こう側には喫煙所のあるコインランドリーがあります。あそこに捨てよう。そう思いました。
 そこに襲い掛かる、後ろおばちゃんの「早く行ってよ」オーラ。そして、発覚する吸殻は無数にあるという事実。そういえば、この後バイトだから、早く帰らないといけなかったんだっけ…。
 本当の罪は、罪を観ても知らないふりをすることです。僕は、罪人です。
 まだ煙の昇るタバコを踏み消しただけで、素通りしてしまったのですから。
 せっかくの幸せも、タバコの火とともに踏み消してしまったようでした。