到達することのない思考

 命とは、なんであろうか。 
 牛や豚に限らず、最近話題の鯨など、動物を殺して食べることの何処が悪いのか。
 俺は喰うよ。
 なんだって喰ってやる。
 腹が減ったなら牛だって鳥だって鯨だってタガメだって、いざとなりゃゴキブリだって喰ってやるよ。
 俺は食わなきゃ死ぬからな。
 それを「喰わない、殺すのは可哀想」などと抜かす馬鹿が世の中にはいる。
 彼らは植物しか食べないんだそうだ。
 愚かな奴らだ。
 植物に命がないと、誰が決めたのか。
 人間だって、所詮は原子分子の集合体さ。
 たまたま電気回路によって思考を取得しただけのことだ。
 はっきり言えば、植物も生きている。
 栄養を摂取し、成長し、子孫を残す。
 動物との違いは、意志を示す手段がなく、おそらく思考をもたないことだけだ。
 そんな植物を食べることは、可哀想じゃないという。
 考えないから可哀想じゃないと言う。
 逆に問いたい。
 植物状態になった人間を、あんたは喰うのか、と。
 彼らの訴えを極論にまで持っていけば、この問いにはYESと答えられるはずだ。
 なぜなら、植物状態の人間は思考をもたないから。
 ただ、栄養を摂取し、成長するだけ。
 喰えよ。
 喰ってみせろよ。
 俺は喰うよ。
 俺は生きているからな。
 喰わないと生きていけないからな。
 生きていくには、他の命をもらう必要があるんだよ。


 動物を殺すなんて、と、ベジタリアンを気取るな。
 生命の大切さをもっともらしく語るな。
 そんなに生命を奪うのが怖いなら、ビタミン剤でも頬張ってろ。
 空中に浮いて、足元の微生物一匹だって殺すな。
 息をすると鼻粘膜で空中の生物が死ぬから、呼吸も止めろ。
 それができないなら潔く死ね。
 貴様が死ぬことが生命を大切にするってことなら、潔く死ね。
 何度も言うが、俺は死なないからな。
 なんだって喰ってやる。
 それが必要なことならな。